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映画『はたらく細胞』ネタバレ全解説|あらすじ・ストーリーから深瀬の役どころまで徹底考察

映画『はたらく細胞』ネタバレ全解説|あらすじ・ストーリーから深瀬の役どころまで徹底考察 アニメ/漫画
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たしかに、学べる映画だったのかもしれない。

でも、なぜだろう。赤血球たちが再生されるラストを見ていても、どこかで「ごめんね」と言いたくなった自分がいた──。

映画『はたらく細胞』。そのタイトルの明るさとは裏腹に、観終えてなお、胸の奥に“何か”が残るような感覚があった。

それは、感動しきれなかった後ろめたさでも、ストーリーの破綻に対する違和感でもない。ただ、説明のつかない「揺れ」があった。

細胞という“擬人化された命”たちが、笑いながら、戦いながら、静かに消えていくその姿を、私たちはどう受け止めたらよかったのだろう。

今日はその“ひとつのざわつき”を起点に、映画『はたらく細胞』のあらすじとネタバレ、そして深瀬(Fukase)が演じた白血病細胞の役どころについて、丁寧に言葉を重ねていきたいと思います。

① はじめは笑っていた――前半のあらすじと世界観

物語は、ひとりの少女・漆崎日胡(うるしざき にこ)の体内から始まります。

赤血球AE3803は、今日もせっせと酸素を運ぶ。白血球U-1146は、いつものように無表情で体内をパトロールしている。どこかで見覚えのある細胞たちが、ちょっとドジで、でも誇りを持って「体を守る仕事」をしている──そんなユーモアと生命力に満ちた“体内世界”が、まずは私たちを安心させてくれます。

一方で描かれるのが、彼女の父・茂の体内。過労と飲酒、喫煙が重なったその内部では、細胞たちが疲弊しきっている。ギスギスとした空気、流れる血液の質も悪く、まさに『はたらく細胞BLACK』的な描写。ふたつの体内を並行して描く構成により、健康と不健康のコントラストが際立ちます。

赤血球と白血球の仲間たちが織りなすやりとり、たとえば血小板の可愛らしさやマクロファージの意外な強さなどは、作品ファンなら微笑まずにはいられないでしょう。

「人間の体って、すごいよね」──そんな素朴な感動の中に、ほんの少しだけ、違和感の影が混じる。何かが“入り込んでくる”予感。

でも、この時点ではまだ、私たちは笑っていたのです。

② ひとつの変異――深瀬=白血病細胞の登場

最初の異変は、小さな違和感として訪れます。

どこからか、見慣れない細胞が現れる。形が歪で、笑っているのに冷たさを感じる。そんな“不穏な何か”が、体内に侵入したその瞬間、私たちはこの物語がただの“学べるアニメ映画”ではないことに気づきはじめます。

Fukase(SEKAI NO OWARI)が演じるのは、白血病細胞。もとは白血球になりたかった子ども白血球が、ある日突然変異し、自らががん細胞として増殖してしまった存在です。

その語り口は狂気を帯びつつも、どこか孤独で、誰かに認めてほしかったような寂しさが滲んでいます。彼が放つ言葉の端々に、「守りたかった」願いの名残が見え隠れして、観る者の胸をざわつかせます。

正義ではなくなってしまった者が、それでも抗おうとする姿。その“ねじれた祈り”こそが、深瀬というキャラクターを単なる敵ではなく、哀しき「存在証明の亡霊」に変えていくのです。

あなたの体内にも、もしかすると彼のような“変わってしまったもの”が棲んでいるかもしれない──そんな想像が、観る側の身体感覚にまで静かに染み込んできます。

③ 死と再生の間で――抗がん剤・放射線・骨髄移植

やがて、物語は抗がん剤治療と放射線療法という“現実の痛み”に踏み込んでいきます。

私たちが“応援していた”細胞たちが、次々と機能を失い、そして静かに消えていく──。それは感動的というよりも、あまりにも唐突で、抗えない破壊の波のようでした。

抗がん剤の投与によって、がん細胞とともに健康な細胞たちも巻き添えになる。放射線によって、体内の秩序そのものが焼かれていく。「治す」ために「壊す」というこの矛盾した治療の実態が、体内の小さなドラマとして展開されます。

あの、声を上げる暇もなく焼き尽くされていく白血球たちの姿は、映画という形式の中でも、静かに“耐える”ことの重みを刻みつけてきました。

そして、最も象徴的だったのは、赤血球AE3803が後輩RB2525に託した「引き継ぎ書」。それは、自己犠牲でも英雄的な別れでもなく、ただ「生きる」を続けるための静かなバトンでした。

治療とはなにか。再生とはなにか。私たちは、ただ「元に戻る」わけではない。何かを失った後に、“新しく続ける”という形でしか、生きることはできない。

この章は、そうした生命の“非ドラマ的な尊さ”を、強く焼きつけてくれたように思います。

④ 視点を変えれば――深瀬という「かつての希望」

物語の中で、深瀬=白血病細胞は明確な“敵”として描かれていました。

けれど、視点を少し変えてみると、その存在は単なる破壊者ではなく、かつて「希望」だったものの成れの果てにも見えてくるのです。

彼はもともと、白血球になりたかった。誰かを守りたかった。ただ、それが突然変異という形で歪められてしまった。成長の中で、「なにか」になりたかったという純粋な衝動が、形を変えてしまった──その事実の残酷さが、言葉以上に彼の振る舞いににじみ出ていました。

守る者が、壊す者になってしまう。正義を志した者が、悪とされる。

それは、細胞の世界に限った話ではありません。社会の中で、あるいは私たち自身の中でさえ、何かを信じて進んだ先に“異物”として扱われてしまう瞬間がある。

深瀬は、その“変わってしまった存在”の象徴なのかもしれません。

そしてだからこそ、彼に感情移入できなかったとしても、心のどこかで「わかってしまった」気がするのです。

がん細胞という異物。それは時に、「理解されたかった誰か」だったのかもしれない。

⑤ 誰の中にもある細胞たち――読者への橋渡し

この映画を観終えて、私たちはもう一度、自分の体に思いを馳せます。

赤血球や白血球、マクロファージ、血小板。彼らは単なるキャラクターではなく、今この瞬間も、自分の中で働いている“命の一部”でした。

そのことに気づいたとき、映画の中で描かれた“死”も“再生”も、どこか他人事ではなくなります。がん細胞の声も、白血球の静けさも、赤血球の不器用さも──すべてが、私たち自身の中にある“何か”と重なっていく。

これは教育映画でも、医療解説でもない。

『はたらく細胞』というフィクションは、私たちが普段「考えないようにしていること」を、やさしくすくい上げてくれたのだと思います。

健康と不健康、正常と異常、そして希望と絶望。どれか一つだけを選べないのが人間であり、だからこそ、細胞たちの声に私たちは心を動かされる。

それぞれが、誰かの体を守っている。

そしてそれは、あなた自身の物語でもあるということ。

まとめ

この映画には、はっきりとした「正解」も、「感動の型」もありませんでした。

ただ、命という言葉では大きすぎるものを、細胞という小さな単位で見つめ直したとき、初めて気づく“実感”がある──そんな物語だったように思います。

笑えた人も、泣けた人も、置いていかれた人も。

それぞれの体の中に、それぞれの“ざわつき”を残した映画『はたらく細胞』。

この物語を、“どう思ったか”をあなたが決めてくれたら、それでいい。

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