あの日、教室の片隅で眼鏡の奥に沈んでいた“あずまくん”のまなざしが、今も脳裏に焼き付いて離れない。
『タコピーの原罪』――このタイトルの裏に潜むのは、ただの悲劇やSFではなく、「罪」と「赦し」をめぐる、まるで祈りのような問いかけ。
なかでも東直樹、通称あずまくんは、物語のなかで最も「人間らしい弱さ」と「救われなさ」に彩られた存在だった。
名前を呼ばれずに育った少年。兄の背中を見上げ続けた日々。
そして、自分が“誰かに必要とされる”ことを、罪を共有することでしか証明できなかったという事実。
この記事では、彼の名前の意味、兄・潤也との関係性、そして読者をざらついた余韻へと導く「最後」を、丁寧に解きほぐしていきます。
もしあなたが、ラストページを閉じたあとも心がざわついたままだったなら──
きっとそのざわめきの正体は、この少年が“あなた自身の記憶”に触れたからです。
① あずまくん/東直樹とは誰?名前と背景
彼の名前は、東 直樹(あずま なおき)。
クラスでは学級委員長、真面目で礼儀正しく、そして少しだけ人と距離を置いたような少年。
でも、私たちは知っている。
その眼鏡の奥に潜んでいたのが、劣等感と承認欲求と、そして“孤独の渦”だったことを。
彼の実家は「あずまクリニック」。母は地域でも評判の女医で、兄は非の打ち所のないパーフェクト超人。
一見、恵まれているように見えるその家庭は、しかし、“名前を呼ばれない息子”という歪みを孕んでいた。
母は兄・潤也のことは名前で呼ぶ。けれど直樹には、ただ「キミ」や「あなた」とだけ。
この小さな違いが、どれほど心を蝕んでいくのか──あなたには想像がつくだろうか。
そして何より象徴的なのが、“度の合っていない眼鏡”の描写だ。
母からもらった古い眼鏡。見えづらくても、それしかない。
彼の視界はいつだって、他人の期待と価値観で歪められていた。
けれど、その“視点”は物語の終盤で変わる。兄から手渡される白縁の眼鏡──
それは「他人ではなく、自分の目で世界を見ていい」というメッセージだった。
東直樹とは、「他人のレンズでしか世界を見られなかった少年」が、「自分自身の視界」を手に入れるまでの物語に他ならない。
② 劣等感に縛られた日々:兄・潤也との関係
「僕の兄は、完璧だった」
この言葉に、すべてが詰まっている。
東潤也――あずまくんの兄は、成績も運動も完璧、周囲からの信頼も厚い“理想の兄”だった。
そのまなざしは、誰からも尊敬され、母からも惜しみない愛を受けていた。
一方で直樹はどうだったか。
比較され、評価されず、名前すら呼ばれない“弟”。
兄に勝ちたくて、でも勝てなくて。
いつしか彼の胸には、尊敬と劣等感がないまぜになった執着が根を張っていた。
彼は「まじめでバカ」と自嘲しながら、
自分なりの“役割”を果たそうとしていた。
――しずかちゃんのために。
優しい自分でありたくて。兄とは違う方法で、誰かに必要とされたくて。
でもそれは、「必要とされる自分」しか存在価値を見いだせない苦しみでもあった。
そんな東に変化が訪れるのは、やはり兄・潤也との再会の場面。
「おまえには、おまえの見え方があるだろ?」
そう語る兄が差し出したのは、真新しい白縁の眼鏡。
それは、強さではなく共感の贈り物だった。
比べるでも、乗り越えるでもなく、「一緒に歩こう」と手を伸ばしてくれる兄。
東直樹はその瞬間、初めて“兄と並ぶこと”を許されたのだ。
③ 共有された罪と“加害者”としての覚醒
誰かを助けたかった。
誰かに必要とされたかった。
その願いが、ほんの一歩、道を踏み外すだけで“罪”へと変わってしまう。
――東直樹は、その境界線を越えてしまった。
しずかちゃんがまりなを手にかけてしまったとき、彼は迷わず協力した。
「僕が助けるから」
そう言って、死体の入った袋を抱え、学校の焼却炉へと向かった。
まるで、自分がしずかの“ヒーロー”になれるかのように。
だが、その行動の根底にあったのは、承認されたいという切実な欲望だった。
兄にはなれない自分。母にも名前を呼ばれない自分。
そんな自分を“誰かに必要とされる存在”に変えるための、唯一の道が共犯関係だったのだ。
歪んでいる。でも、痛いほど理解できる。
共に罪を背負うこと、それが彼にとっての“繋がり”であり、“居場所”だった。
けれど、物語の後半で彼は決断する。
罪から逃げるのではなく、自ら引き受ける覚悟を。
それは兄から渡された眼鏡――「おまえの視点で世界を見ていい」という許しが、
彼の中でひとつの“覚醒”をもたらした瞬間だった。
もはや彼は、誰かに必要とされるために行動する少年ではなかった。
自分の意思で、自分の罪に立ち向かう人間へと変わったのだ。
④ 自首、そして救済への道筋
罪を犯した者は、罰を受けなければならない。
――そんな単純な図式では、東直樹の行動は説明できない。
彼が自首を選んだのは、誰かに罰せられたかったからではない。
自分自身で、自分の罪に名を与えたかったからだ。
そしてその決断の陰には、またひとつの“救い”があった。
兄・潤也との再会。
彼は、過去のように弟を諭すのではなく、責めるのでもなく、ただ静かに寄り添う。
そしてこう言うのだ。
「おまえには、おまえの見え方があるだろ?」
その言葉とともに差し出されたのが、新しい白縁の眼鏡だった。
母から受け継いだ、歪んだ視界ではない。
兄という“他者”がくれた眼鏡――それは、自分の視点で世界を見ることを許された証だった。
そして物語は、もうひとつの“崩壊”を描く。
母親が勤めていたあずまクリニックは閉鎖され、家庭は“体裁の終焉”を迎える。
けれど、それは同時に、新しい関係性の始まりでもあった。
東直樹は初めて、誰かの期待に応えるためでなく、自分の足で立つことを選んだ。
自首という行為は、その痛みの中にこそ、再生の芽を宿していたのだ。
⑤ 最後にどうなった?東直樹、その後の未来
物語は終わっても、あの少年の背中は、まだ読者の心を歩き続けている。
『タコピーの原罪』のラスト、時間は流れ、“あれから4年”。
そこに現れたのは、度の合った白縁眼鏡をかけた青年・東直樹の姿だった。
かつて誰かにすがるように世界を見ていた彼が、
今では自分の視点で、しっかりと立っていた。
しずかと再会した彼は、もう“救おう”とはしない。
ただ隣に立ち、「一緒に歩もう」と声をかける。
――依存でも、罪の共犯でもない。
ようやく彼は、対等な関係の第一歩を踏み出したのだ。
完全に赦されたわけじゃない。過去は消えない。
でも、それでもいいと思えるようになった。
自分を許すこと、自分を見つめること、自分として誰かと関わること。
そして、物語の最後。しずかの語りの中で彼はこう呼ばれる。
「私は、タコピーと、そしてあの人と出会えてよかった」
そう、“あの人”――彼は、しずかの人生のなかで、確かに“光”だった。
東直樹という存在が、他者の記憶に残る“善き過去”として刻まれていたという事実。
それがきっと、彼が手にした最大の“赦し”なのだ。
まとめ:名前・兄・最後――“あずまくん”が遺した問い
『タコピーの原罪』における東直樹――“あずまくん”というキャラクターは、
決して主人公でもなければ、ヒーローでもない。
けれど、彼ほど「人間らしい弱さ」と「罪の中にある希望」を体現した存在は他にいない。
名前で呼ばれなかった少年。
優秀な兄と比較され続けた日々。
罪を共有することでしか、誰かと繋がれなかった痛み。
――けれど彼は、そこから抜け出した。
“視点”を取り戻し、“自分の名前”で生きることを選び取った。
兄との関係は、呪いであり、救いだった。
母との距離は、再構築の余白を残したまま。
でも、あずまくんは確かに「変わった」のではなく、「変わることを選んだ」のだ。
罪を抱えたまま、誰かの“光”になろうとした少年。
彼の歩みは、私たちの胸にこんな問いを投げかけてくる。
あなたは、自分の名前で、誰かと向き合えていますか?
読者である“あなた”に、彼が遺した問い。
それに答えるのは、物語を読んだあとを生きる、私たち自身です。
ぜひ、あなたの中に浮かんだ言葉を、誰かと語ってみてください。
コメントでも、SNSでも。あなたの語りが、また誰かの“視点”になるかもしれません。



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