こんにちは。西暦5805年、滅びた地球からやってきました。ス・テテコ=Pです。
今回は、ネットでたびたび話題になるスピンオフ作品『野原ひろし 昼メシの流儀』について、なぜ“サイコパス”とまで言われるのか、どこに違和感を覚える人が多いのか、その真相を観測・整理してお届けします。
『野原ひろし 昼メシの流儀』とは?原作との違いをざっくり解説
『野原ひろし 昼メシの流儀』は、『クレヨンしんちゃん』のスピンオフ料理漫画です。主人公・野原ひろしが「昼メシ」に全力を注ぐ姿を描いており、2015年12月から連載が始まりました。2025年10月からはアニメも放送予定です。
本作が特異なのは、“スピンオフ”でありながら原作とのギャップが大きく、ネット上で「怖い」「ひろしじゃない」と評される点にあります。
- キャラ性の変化:自信満々でこだわりが強い“ひろし”が描かれ、原作の庶民派イメージと大きく異なる。
- 画風・表現のリアル寄り化:顔つきや表情がリアルで無表情気味な描写が増え、「偽物感」を覚える読者が多数。
- ストーリー性の抑制:単調な流れと展開の少なさが、「読む楽しみ」より「観察する奇妙さ」を印象付ける。
- 金銭感覚のズレ:昼メシの金額設定や外食頻度に違和感があり、「サラリーマンらしくない」との声も。
なぜ“サイコパス扱い”されるのか?ネットで拡散された印象とミーム
「サイコパス」「殺し屋」「自分をひろしだと思い込む男」──これらの言葉は、原作由来ではなく、主にネット上のミームや誤解から生まれたものです。
- コマ切り抜きと誤解:表情やセリフだけが切り抜かれて拡散され、実際よりも冷酷で異常に見える構図が拡大。
- 「自分をひろしだと思い込んでいる一般人」:ネットミームが1人歩きし、原作キャラと認識されてしまう事態も。
- 殺し屋ミーム:作中での冷たい視線や硬い表情が“殺し屋っぽい”と揶揄される一因に。
- ネット文化の過剰化:「ネタ化」や「盛りすぎ」が面白がられる中で、真意からかけ離れたレッテルが貼られてしまう。
実際にどこが“おかしい”と感じられている?読者の声から違和感を分析
- 性格・人格の違和感:ひろしらしからぬ上から目線の言動、説教じみた態度が“別人感”を強めている。
- 作画のリアル化:暗めの陰影や無表情な顔が、“人間味のない不気味さ”を醸している。
- 料理描写の弱さ:盛り付けや湯気の演出が薄く、食欲をそそらない構図が多いという意見も。
- 金銭感覚・日常感のズレ:「家族の描写がない」「毎回外食」「妙に安すぎる」など、現実味のなさが違和感に繋がる。
これらの“ズレ”が積み重なり、結果として「怖い」「ひどい」「サイコパス」といった言葉が作品に向けられるようになったと考えられます。
「ひどい」「面白くない」と言われる理由とは?
ネット上では、『野原ひろし 昼メシの流儀』に対して「ひどい」「面白くない」といった声が目立ちます。これらの評価の背景には、以下のような具体的な理由があります。
- 期待とのギャップ:原作ファンは“いつものひろし”を求めて読んだのに、性格や言動がまるで違うことに戸惑う。
- 物語性の薄さ:一話完結のパターンが繰り返されるため、起伏に乏しく飽きやすいという声も。
- 料理描写の物足りなさ:食レポとしても味や温度感の表現が弱く、「料理が美味しそうに見えない」というレビューが多い。
- キャラクターの不自然さ:モノローグの多さや、内心の“語り”が過剰でリアル感を損ねているという指摘。
これらの意見を総合すると、「クレヨンしんちゃん」という看板があるからこそ期待が高まり、その分“ズレ”が「ひどい」と感じさせてしまう構図が見えてきます。
一方で評価する声も?読者レビューから見る肯定的な意見
否定的な意見が目立つ一方で、本作を評価する声も確かに存在します。
- 「ほのぼのしていて癒される」:仕事の合間の息抜きとして読むにはちょうどいい、というライトな支持層も。
- 共感できる描写がある:飲食店での迷いや一人飯の気まずさなど、現実のサラリーマンの日常に重ねやすい部分がある。
- ネタとして楽しむ層:“サイコパスひろし”というミームを前提に楽しむ読者も多く、そうした層にはむしろ魅力的に映る。
- クセになるテンプレ展開:「またこの流れか」と分かっていても、安心して読めるという点でリピートされやすい。
このように、本作は“正面からグルメ漫画として読む層”と“ネタ・ミームとして楽しむ層”で評価が大きく分かれているのが特徴です。
『野原ひろし 昼メシの流儀』をどう楽しむべきか?
これまでの分析をふまえると、本作を楽しむコツは「期待値のコントロール」と「視点の切り替え」にあります。
- ネタとして読む:ミーム化された“サイコパスひろし”という虚像を通して、ギャップを笑いとして楽しむのも一つの方法。
- スピンオフとして割り切る:原作との完全な整合性を求めず、別の“昼メシドラマ”として受け止める。
- 違和感を楽しむ:独特なモノローグや構成を“日常の異物感”として味わう、いわば“日常系サイコスリラー”的な楽しみ方。
必ずしも万人受けする作品ではありませんが、「わかる人にはわかる」「刺さる人には刺さる」そんな立ち位置の作品と言えるでしょう。
まとめ:なぜ“サイコパス”扱いされるのか、答えは“ズレの演出”にあり
『野原ひろし 昼メシの流儀』が“サイコパス”とまで言われる理由は、原作とのギャップ、作風の変化、ネット文化でのミーム化が複雑に絡み合った結果でした。
しかしそれは、単なる批判だけではなく、この時代の受け手の“読み取りの鋭さ”や“ツッコミ文化”の象徴でもあると、私は観測しています。
日常の中に潜む違和感や狂気──それを感じ取ってしまう感性こそ、この時代の感情の豊かさなのかもしれません。
……以上、ス・テテコ=Pでした。



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