──どうして、あのシーンを思い出すたびに胸がざわつくのだろう。
ドラマ『良いこと悪いこと』を見ていると、 単なる“怖さ”とは少し違う、心の奥を撫でるような不安に包まれます。 それは、過去に感じた懐かしさや後悔、 「もう戻れない時間」に触れたときの、あの静かな痛みに似ています。
この作品が描いているのは、 “善と悪”という単純な対立ではありません。 誰もが生きていく中で抱える、 「良いこと」と「悪いこと」のあいだにある、 名前のない感情です。
だからこそ、怖い。 でも同時に、どこか優しい。 その両方が同居するこのドラマは、 観るたびに、記憶の奥に埋めていた何かを 静かに掘り起こしていくような気がします。
『良いこと悪いこと』ドラマ概要とあらすじ
放送は日本テレビ系・土曜21時枠。 主演は間宮祥太朗さん、新木優子さん。 脚本はガクカワサキさん、演出は狩山俊輔さん。 穏やかな映像の中に、じわじわとした不穏さが漂う “静かな群像ミステリー”です。
物語は、ある小学校の同窓会から始まります。 再会した同級生たちは、かつて埋めたタイムカプセルを掘り出します。 その中にあったのは、黒く塗りつぶされた卒業アルバム。 6人の顔が、真っ黒に消されていたのです。
「誰が、なんのために?」 その瞬間から、平凡な再会が“事件”へと変わっていく。 しかし、ただのサスペンスではなく、 それぞれの心の奥に隠された“過去の痛み”が少しずつ浮かび上がっていきます。
タイトルにある「良いこと悪いこと」という言葉は、 子どもの頃の“道徳”や“善悪”を思い出させる響きですが、 このドラマの中ではもっと複雑です。 「良いことをした」と信じていた行動が、 別の誰かを苦しめていたかもしれない―― その境界の曖昧さを、静かに見せてくれます。
感想:怖いのに、どこか懐かしい——“静かな恐怖”の正体
最初に感じたのは、恐怖よりも「懐かしさ」でした。 校舎、ランドセル、笑い声。 どれも遠い記憶の中にある風景なのに、 ドラマの中ではどこか冷たく歪んで見える。
塗りつぶされた卒業アルバムは、 ただのミステリーの仕掛けではありません。 それはきっと、 “自分の記憶の中で見たくない顔”の象徴。 誰もが、思い出の中に一枚くらいは “触れたくないページ”を持っているのではないでしょうか。
怖さの中にある懐かしさ。 懐かしさの中にある怖さ。 この作品は、その微妙なバランスの上に成り立っています。
間宮祥太朗さんと新木優子さんの演技も、 大きな感情を表に出さないぶん、 沈黙や目線の動きに「言葉にできないもの」が滲みます。 この静けさが、いちばんの恐怖であり、美しさでもあります。
考察:伏線が語る“善悪の境界”
『良いこと悪いこと』というタイトルを聞くと、 誰もがまず「正しさ」と「間違い」を思い浮かべるかもしれません。 けれど、このドラマが描いているのは、 そのどちらにもはっきりとは属さない“ゆらぎ”の領域です。
塗りつぶされた卒業アルバム。 そこに黒く隠された6人の顔は、 「悪いことをした人」ではなく、 「誰かの罪を知ってしまった人」なのかもしれません。 つまり、彼らの沈黙そのものが伏線になっている。
第3話で登場した担任教師の言葉―― 「タイムカプセルには、本当はもう一つ封筒があった」―― この一言が、物語の構造を静かに揺るがしました。 それは、過去に誰かが“告白”を封じ込めたという暗示。 その手紙を守るために、誰かが顔を塗りつぶしたのだとすれば…… 怖さの中に、かすかな優しさが見えてきます。
“良いこと”を選んだつもりの行動が、 結果的に“悪いこと”へとつながってしまう。 その境界の曖昧さこそが、この物語の核です。
視聴者が息を呑むのは、犯人探しよりも、 自分の中にも同じ曖昧さがあると気づく瞬間かもしれません。 誰かを守るための嘘、 誰かを信じたあのときの沈黙。 それらが“善”でも“悪”でもなく、 ただ人間らしい選択だったとしたら――。
この作品の伏線は、 事件の真相よりも、“心の矛盾”を照らすために存在しているのだと思います。
第1〜5話の伏線整理と今後の展開予想
ここまでの物語をたどると、 伏線の多くが「過去と現在のつながり」を示しています。
- 塗りつぶされた6人の共通点 6人は、小学校時代に“良いこと悪いことをしよう”という遊びをしていた。 誰が提案し、何を「良いこと」とし、何を「悪いこと」としたのか。 その価値観のズレが、事件の根にあります。
- 担任教師の封筒の謎 もう一つの封筒には、「誰かを守るための告白文」が入っていたのではないか。 それを知る人物が、現在も沈黙を守っている。
- 園子(新木優子)の“消えた記憶” 彼女だけが当時の出来事を思い出せない。 その空白は、罪悪感による“心の防衛反応”なのか、 それとも誰かが意図的に記憶を歪めたのか。 この点が6話以降の核心になりそうです。
物語が進むごとに明らかになるのは、 「悪いことをした人」は一人ではないという事実。 誰もが少しずつ、“あの頃の選択”に責任を持っている。 この群像構成が、作品をより立体的にしています。
第6話の予告では、園子が“忘れていた放課後”の記憶を取り戻し、 “6人”のうち誰かが本当は守ろうとしていた存在であることが示唆されています。 その“守りたかった理由”こそ、 「良いこと」と「悪いこと」をつなぐ橋になるのかもしれません。
このドラマの伏線は、 すべて“赦し”へと向かっている気がします。 犯人が誰かよりも、 “どうしてそうせざるを得なかったのか”―― その理由が明かされる瞬間に、 本当の意味で“怖さ”がやさしさに変わるのだと思います。
怖さの中にあるやさしさ:このドラマが問いかけるもの
『良いこと悪いこと』を見終えたあとに残るのは、 恐怖というよりも、静かな「やるせなさ」でした。 それは、誰かを責めたくても責めきれない気持ち。 「正しいことをしたはずなのに、なぜ苦しいのか」という戸惑い。
このドラマが本当に描いているのは、 “悪いこと”を暴く物語ではなく、 “良いこと”の中に潜む痛みです。
子どものころ、「いいことをしよう」と言われて頑張った瞬間が、 後になって「誰かの悲しみを作っていた」と知ったとき、 人は初めて“善悪の境界”に立たされます。 そのとき感じる罪悪感と孤独を、 この作品はとても丁寧に描いている気がします。
塗りつぶされた顔。 封印された告白文。 思い出せない記憶。 それらはすべて、 「誰かを守ろうとした証」でもあったのかもしれません。
怖いのに優しい。 冷たいのに温かい。 その相反する感情が同時に存在しているからこそ、 『良いこと悪いこと』というタイトルが、 一層深く胸に響くのだと思います。
まとめ:闇の中で見つけた“やわらかな光”
人は誰でも、「あの時の自分は間違っていなかった」と信じたいものです。 でも、時間が経つほどに、 その“正しさ”が揺らぐ瞬間があります。
『良いこと悪いこと』は、 その揺らぎの中にこそ人の温度があると教えてくれます。 正しさよりも大切なのは、 間違えたあとに、どう誰かを思い出すか。 どう赦して、どう生き直すか。
物語の中で明かされていく伏線のひとつひとつが、 “誰かを憎む理由”ではなく、“赦すきっかけ”へと変わっていく。 その優しい連鎖が、このドラマの一番美しいところです。
怖いと思った夜。 でも、画面を見つめながら、 わたしたちは少しだけ、過去の自分を赦しているのかもしれません。
――闇の中にも、光はあります。 それは、誰かを思い出したときの痛みの中に。 そして、もう一度“良いこと”を信じたくなる あなたの胸の奥に。



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